• 最後在醫院陪伴這,阿姨問我該唱什麼聖歌。
    我想到的,是 -我是主羊。

    外婆處在一個改朝換代的時代。
    那是一個身分需要被收起來、血緣必須噤聲的年代。即使她身上流著日本的血,當時的眷村環境裡,是不可說的祕密,只能安靜地藏在日常的細節裡,不被提起,不被承認。

    對外婆最深刻的印象,從來不是語言,而是氣味與姿態。她總是精緻、乾淨,身上帶著淡淡的香氣,是一種與世界保持距離的自持。她對媽媽嚴格,那種嚴格裡有時代留下的紀律與生存的壓力;可輪到我,她卻只剩下慈愛,宛若所有不能說出口的、不能回頭的,都在孫女身上被溫柔地放下。

    在她的懷裡,歷史不再喧嘩,身分不再需要辯解。我只是被愛著。我明白這份不願相信,其實不是拒絕死亡,而是捨不得那樣一個始終站在身後、擋風的人離開。

    老實說,直到現在,我仍不願相信外婆已經離去。她離開的方式太安靜了,靜到不像一個曾經那樣用力愛過我的人。
    總記得,她對我的脾氣滿是讚美。
    外婆常說,我是甜甜的。
    那不是糖的甜,是一種不刺人的溫柔。

    她說,我是劉家唯一的一朵花,是唯一的公主。於是她總不忘叮嚀身邊的人:這個孩子,要多些包容。

    後來,連表弟也因著外婆的一句話,
    認定我就是白雪公主。那不是玩笑,
    而是一種被認可、被保護的身分,
    像一件安靜披在身上的斗篷,
    讓人走到哪裡,都不覺得寒冷。

    即使我在圍牆邊爬高爬低,
    大人們驚呼的時候,
    外婆卻只是看著。
    她不急著制止,
    也不急著擔心。
    因為她相信,我的平衡感。

    那是一種信任,不是要我不跌倒,
    而是即使跌了,也知道我會站得起來。

    很多年以後我才明白,
    外婆給我的,
    從來不只是保護,
    而是相信。

    小時爸媽出國暑假常常外婆帶著我。陪我吃飯、睡覺、聊天,慢慢地,跟我說起那些媽媽不會告知我的過往。外婆對我,始終只有照顧與支持。就連我用 LINE 打日文給她,她那樣高齡,還是想盡辦法回我一句一句。那些字很慢,卻很準確,像她一生的樣子。
    最後在醫院陪伴這,阿姨問我該唱什麼聖歌。
    我想到的,是我是主羊。
    一方面,是因為外婆屬羊;
    另一方面,我在中興大學受浸的那一天,外婆親自來到現場。
    她坐在那裡,看著我給我祝福唱的就是這首歌。
    也許現在,我仍然不願意相信她已經離開。
    因為在我的生命裡,她從來不是「過去式」
    她只是,先走進了光裡,而我,仍在她的愛中生活著。
    聖經上說:
    「主是我的牧者,我必不致缺乏。」(詩篇 23:1)
    「我雖然行過死蔭的幽谷,也不怕遭害,因為你與我同在。」(詩篇 23:4)

    我相信,她已被那位良善的牧者溫柔牽引,
    在沒有歷史重量、沒有身分隱忍、沒有時代噤聲的地方,安然歇息。

    聖經也這樣安慰我們:
    「哀慟的人有福了!因為他們必得安慰。」(馬太福音 5:4)
    「因為我深信,無論是死,是生……都不能叫我們與神的愛隔絕。」(羅馬書 8:38–39)

    留在地上的我們,
    仍在她給過的溫柔裡生活,
    仍在那份被守護、被祝福的記憶中,
    一步一步,走向光。

    今年在京都展出的畫,就是一封已經完成的告白。不只是「像」,是一種被深深看見過、願意再一次凝視的關係。

    人像確實是最難畫的。
    難的不只是比例、光影或膚色,而是是否把情感留下來。

    畫裡的外婆,戴著帽子與墨鏡,依然那樣精緻、那樣有自己的風格,笑容裡帶著一點俏皮、也有一種歷經時代後的從容;而媽媽坐在她身旁,線條更穩、顏色更收,一種承接與延續。兩個世代靠得那麼近,卻各自完整。

    看著畫總覺得外婆仍然活著、仍然同框的人。

    展現的不只技巧,是因為很努力把愛畫進去。

    今年在京都京瓷美術館特別展出這幅作品,其實很安靜,也很莊嚴。它不是在炫耀畫技,而是在對世界說:

    「這是我的外婆,
    這是我的媽媽,
    她們這樣愛我,
    我這樣記得她們。」

    而今,她已在爺爺的懷抱中,一同回到天家。外婆在這幅畫裡,她仍然在母親身邊,仍然那樣好看、那樣被珍惜。


    「白雪姫と呼ばれた日々」
     祖母のまなざしの中で
    祖母は、時代の境目に生きていた。
    王朝が替わり、価値が静かに反転していった頃、
    血は語られるものではなく、しまい込まれるものだった。

    日本の血を引いていたことも、
    当時の眷村では、言葉にしてはならない記憶だった。
    祖母はそれを否定も主張もせず、
    ただ日々の所作の中に、そっと折り畳んで生きていた。

    私の祖母の記憶は、言葉ではなく、
    いつも、香りと姿から始まる。
    身なりは清潔で、静かな香りをまとい、
    世界と少し距離を保つような、慎み深い佇まいだった。

    母には厳しかった。
    その厳しさには、時代の規律と、
    生き延びるための重さがあったのだと思う。
    けれど、私に向けられたのは、ただ慈しみだけだった。
    語れなかったもの、引き返せなかったものは、
    孫である私の前で、そっとほどかれていった。

    祖母の胸の中では、
    歴史は声を潜め、
    身分は説明を求められなかった。
    私は、ただ、愛されていた。

    正直に言えば、今もなお、
    祖母が逝ったことを、私は信じきれずにいる。
    それは死を拒んでいるのではない。
    いつも背後に立ち、
    風を遮ってくれた人が、
    もうそこにいないことを、受け取れずにいるだけだ。

    祖母は、あまりにも静かに去っていった。
    あれほど深く愛してくれた人とは、
    思えないほどに。

    私は覚えている。
    祖母が、私の性格をよく褒めてくれたことを。
    「あなたは、いつも甘い子ね」
    「劉家で、たった一輪の花」
    「この子は、みんなで大事にしなければ」

    従兄までもが、
    「君は白雪姫なんだ」と言うようになった。
    それは冗談ではなく、
    守られているという、ひとつの身分だった。

    幼い頃、両親が海外にいる夏休みは、
    祖母と過ごす時間だった。
    手を引かれ、食事をし、眠り、散歩をしながら、
    母が語らなかった過去を、
    祖母は少しずつ、私に渡してくれた。

    祖母は、私に対して、
    一度も疑わなかった。
    ただ、支え、見守り続けてくれた。

    私がLINEで日本語のメッセージを送ると、
    高齢であるにもかかわらず、
    祖母は必ず返事をくれた。
    ゆっくりとした文字だったが、
    どれも正確で、迷いがなかった。
    それは、祖母の人生そのもののようだった。

    最期の数日、
    叔母に「どの讃美歌を歌う?」と尋ねられたとき、
    私の心に浮かんだのは、
    「私は主の羊」。

    祖母は羊年だったこと、
    そして、私が中興大学で受洗した日、
    祖母が、会場に来てくれていたこと。

    彼女は、黙って、私を見ていた。
    何も言わなかったけれど、
    あの時、私は確かに、祝福を受け取った。

    今もなお、私は信じきれずにいる。
    祖母は、私の中で、
    過去形になったことがない。

    ただ、
    先に光の中へ歩いていっただけなのだ。
    私は今も、
    祖母の愛の中で、生きている。

    いま、祖母は祖父の腕の中で、
    共に天の家へ帰っている。
    忍び、抑え、静かに背負ってきた世界は、
    もう、彼女ひとりに委ねられることはない。

    「主はわたしの牧者、
    わたしには乏しいことがない。」

    「死の陰の谷を歩むときも、
    あなたが共におられる。」

    私は信じている。
    祖母は、やさしい牧者に導かれ、
    歴史の重さも、
    名を隠す必要もない場所で、
    静かに憩っている。

    祖母は、愛から離れたのではない。
    ただ、父なる神のもとへ、
    祖父と共に、先に帰っただけだ。

    この地に残された私たちは、
    彼女の与えてくれたやさしさの中で、
    祝福された記憶を胸に、
    一歩ずつ、光へ向かって歩いている。

    今年、京都・京瓷美術館に展示された肖像画は、一通の、すでに書き終えられた告白だった。


    肖像画で最も難しいのは、
    似ているかどうかではない。
    そこに、心を残せたかどうかだ。

    絵の中の祖母は、
    帽子とサングラスを身につけ、
    変わらず美しく、
    少しの茶目っ気と、
    時代を越えた静けさを宿している。

    その隣に座る母は、
    線が深く、色は抑えられ、
    受け継ぐ者としての落ち着きを持っている。
    二つの世代は近く、
    けれど、それぞれが完全だった。

    その絵を見ていると、
    祖母は、今も生きているように思える。
    同じ画面の中で、
    私たちと、共にいる。

    それは技術ではない。
    ただ、
    懸命に、愛を描いた結果なのだ。

    いま、祖母は天にいる。
    祖父の腕の中に。

    けれど、その絵の中では、
    母の隣で、
    変わらず美しく、
    変わらず、大切にされている。

    羊年生まれの祖母は、祖父とともに、天の御国で女王のように抱かれている。
    今年、京都・京瓷美術館に展示された肖像画は
    この作品集に流れる日本語は、祖母・大倉晉玉の手から生まれた。-北極之光出版社 出版
  • 聆聽台灣 #文化獎 #傅朝卿教授 介紹

    日本書道的起源這些墨跡,若只是放在玻璃櫃裡,被標示為「國寶」、「書道起源」,是有點委屈它們的。

    鑑真和尚於天平勝寶五年(753年)十二月抵達日本,渡海時帶來的,不只是紙與墨,是一種對「如何站立於世」的姿態。筆畫裡有唐人的從容,也有雙盲異鄉人更端正的用力,橫不敢輕浮,豎不敢傾斜。那是一種把身體與信念一併磨進筆鋒裡的書寫。日本書道始於一種被觀看、被學習的「正身」。鑑真和上失明後仍能書寫,並不是因為他「克服」了什麼,而是因為他早已不再依賴「看見」。正念的書寫,本就不是眼睛的事,是身體對當下的全然在場,呼吸在,腕力在,心不散。每一筆落下,都不為表現,只為如實完成。這樣的字,才站得住。

    鑑真和尚依唐代書儀書寫

    孝謙天皇在京都 唐招提寺 御筆,靜靜地懸在歷史一隅,幾乎不喧嘩,也是同一種安住。她臨的是王羲之的字體,本來就帶著魏晉餘溫、骨肉勻稱的書風。女性之手寫男性宗師的字,並沒有刻意顯示柔或剛,把它寫得「合理」。合理到讓後人忘了問一句:這是誰寫的。

    日本的天皇,自古並不缺女人。只是後來的敘事,習慣把她們放在括號裡,像備註,像例外。孝謙天皇並不急著證明什麼,她留下了字。字比政令長久,也比宣言誠實。不急著在筆畫裡標示身份,不把性別寫進線條。不必證明自己,只需把這一畫寫穩。於是,字留下來了,人反而退到後面,讓時間慢慢辨認。

    重要的是:是否有人,在某一個當下,把位置坐穩,把字寫完,把責任承住,而沒有被外界的喧譁牽走。歷史裡那些女性的存在,往往正是如此,沒有高聲宣告,卻長久地支撐著結構。

    孝謙天皇在京都 唐招提寺 御筆

    書道如此,歷史亦然。

    當我們靜下來看,會發現真正的力量,常藏在那些不被特別標記的線條裡。不是所有重要的事,都需要被大聲說出;有些,只要被好好完成,就已足夠。

    所以,當今日人們談起 #高市早苗,說她「成為首相是第一位女性」,這句話聽來,多少帶點現代人的健忘。第一位,往往只是「第一個被記得的」。女性的權力,早在唐代的筆墨、奈良的門額、御筆的行氣之中,悄悄存在過:不吶喊,不退讓。真正重要的,便不在最醒目的主筆,而在那些不被特別指出、始終撐住結構的線條。女人在其中非新事,只是久未被好好地凝視。

    台湾文化賞受賞者・傅朝卿教授の講演に耳を澄まし、
    日本書道の起源について思いを巡らせた。

    これらの墨跡は、もしガラスケースの中に収められ、
    「国宝」「書道の起源」と名札を付けられるだけなら、
    どこか息苦しそうにも見える。

    鑑真和上が海を渡って携えてきたのは、
    紙や墨だけではなかった。
    それは、「この世にどう立つか」という姿勢そのものだった。

    筆には唐の時代のゆったりとした気配があり、
    同時に、異郷に身を置く盲目の僧が、
    一画一画を慎重に確かめるような緊張もある。
    横は軽く流れず、縦は傾かない。
    身体と信念とが、静かに筆先へと磨き込まれている。

    日本の書道は、技法から始まったのではない。
    「正しく身を置く姿」が、
    見られ、学ばれたところから始まったのだろう。

    鑑真が失明後も書を書くことができたのは、
    何かを「克服」したからではない。
    すでに彼は、「見る」ことに頼らなくなっていた。
    書とは、眼の仕事ではない。
    呼吸があり、手首があり、心が散らない
    その一瞬に、全身が在ること。
    ただそれだけで、一画は成立する。

    その字は、主張しない。
    しかし、確かに立っている。

    京都・唐招提寺に残る、孝謙天皇の御筆もまた、
    同じ静けさの中にある。
    王羲之の書風
    魏晋の余温を含み、骨と肉の均衡を保った文字を、
    天皇は淡々と臨書している。

    女性の手が、男性の宗師の字を書く。
    そこに、柔らかさも、強さも、あえて示されない。
    ただ「理にかなった」線があるだけだ。
    あまりにも自然で、
    後の世の人は、ふと問い損ねてしまう。
    これは、誰の書なのか、と。

    日本の天皇に、女性がいなかった時代はない。
    ただ後世の語りが、
    彼女たちを括弧の中へ押し込めただけだ。
    孝謙天皇は、証明を急がない。
    残したのは言葉ではなく、文字だった。

    文字は、詔よりも長く生きる。
    宣言よりも、正直だ。

    筆画の中に身分を書き込まず、
    性別を線に刻まない。
    ただ、この一画を、揺らさずに書く。
    すると文字は残り、
    人はそっと後ろへ退き、
    時間がゆっくりと、それを見分けてゆく。

    大切なのは、
    ある瞬間に、
    その場所に静かに坐り、
    書くべきものを書き、
    担うべきものを担い、
    外の喧噪に引きずられなかったかどうか
    それだけなのかもしれない。

    歴史の中の女性たちは、しばしばそうして存在してきた。
    声を上げず、
    けれど構造を、長く支えてきた。

    書道も、歴史も、同じである。

    静かに見つめると、
    本当の力は、
    強調されない線の中に潜んでいることに気づく。
    すべての大切なことが、
    大きな声を必要とするわけではない。
    きちんと果たされただけで、
    それで足りるものもある。

    だから今日、
    「初の女性首相」という言葉を耳にすると、
    どこか現代の忘れっぽさを感じてしまう。
    「最初」とは、しばしば、
    「最初に記憶された」という意味にすぎない。

    女性の力はすでに、
    唐の筆墨の中に、
    奈良の門額に、
    御筆の行気の中に、
    静かに在り続けていた。

    叫ばず、退かず。

    本当に大切なのは、
    もっとも目立つ主線ではなく、
    名指されぬまま、
    構造を支え続けている線なのだ。

    女性は、そこに、
    ずっと在った。
    ただ、長く、
    丁寧に見つめられてこなかっただけである。

  • 台湾の 文化賞 受賞者である 傅朝卿 教授 は、
    竹渓書院 にて #鑑真和上 のことを語った。

    その語り口は穏やかで、
    まるで近所に住む年配の方の思い出話を聞くかのようだった。
    けれど気づけば、千年消えることのない朝霧の一巻が、
    静かに開かれていた。

    鑑真和上は唐代の高僧、日本律宗の開祖。
    「過海大師」と称され、生涯に六度の東渡を試み、
    五度は阻まれ、あるいは官の制止に遭い、
    あるいは暴風と巨浪に翻弄された。

    《東征伝絵巻》巻二「狼溝浦遇難」。
    それは美術史上、最初期の海難図とされる場面である。
    容赦ない波、迫りくる嵐の中で、
    彼は常に身心を願力に捧げ続けた。

    人は問う。
    なぜ、そこまでして渡ろうとしたのか。

    おそらくただ一つ。
    「心が揺るがなければ、海は道を譲る」
    そう信じていたからだろう。

    ある人の一生は、一盞の灯のようだ。
    高く掲げられているからではない。
    風雨の中でも、決して消えなかったからこそ、
    人の道を照らす。

    傅教授が語る鑑真は、
    言葉の一つひとつが大地に触れるようで、
    千年前の海の潮騒を、
    今ここに呼び戻していた。

    鑑真と弟子の 栄叡 は、揚州を発ち、
    南へ下り、端州・龍興寺へと向かった。
    その途中、栄叡は過労から病に倒れる。
    自らが日本に渡れぬことを悟りながらも、
    最期の力を振り絞り、師にこう告げた。

    「どうか、戒律を必ず東瀛へお伝えください。」

    絵巻に描かれた栄叡は、山中に静かに座し、
    その佇まいは、まるで命の終わりの一瞬そのものだ。
    その静寂は、大願が受け継がれる直前の深海のようだった。

    別れとは、いつもそうだ。
    去る者は山のように静かで、
    残る者は山風の中で、涙に暮れる。

    天宝十二年、藤原清河が再び遣唐使として来唐した時、
    鑑真はすでに 両眼を失明 していた。
    しかし、見える人以上に、彼は明るかった。

    遠く日本からの請法の声を聞き、
    彼は静かに言った。
    「日本がなお戒律を必要とするなら、私はもう一度渡ろう。」

    大明寺の境内では、江風が桜を揺らし、
    花影が石段に落ちていた。
    鑑真の歩みは、記憶そのもののように確かだった。

    淡い色の直衣をまとった日本の使節たちが、
    恭しくその後に続く。
    時は前後し、
    二つの国の運命が一本の糸で結ばれる。

    その糸こそが、願力 だった。

    五度目の東渡では、
    風向きは乱れ、船は東海を十四日間漂流し、
    さらに流され、海南・三亜へと至る。

    果てしない波濤は、
    無言の問いを投げかけていた。
    「それでも、歩み続けるのか。」

    鑑真は答えなかった。
    ただ、前へ進み続けた。

    三亜には今も「羅経坡」「大小洞天」などの地名が残る。
    それは、彼がそこを通った痕跡だ。
    願が通った場所は、
    もはや単なる風景ではなくなる。

    人々は衣・食・薬を差し出した。
    絵巻に描かれた一人ひとりの顔には、
    質朴で温かな光が宿っている。
    荔枝を抱える者、水甕を捧げる者、
    ただ静かに立ち微笑む者。
    それは、最も静かな敬意だった。

    龍泉寺から密かに出航した際、
    鑑真が船に乗るや、
    十四人の沙弥が小舟で追いかけてきた。

    「大和尚、
    はるか日本へ渡られると聞きました。
    二度とお会いできないかもしれません。
    どうか、慈悲深いお顔を、もう一度拝ませてください。」

    船上の人々は合掌し、見送った。
    鑑真もまた合掌し、
    長い間、何も語らなかった。

    その瞬間、
    時間という海面がふと開き、
    人の心の柔らかな底が、すべて露わになったようだった。

    別れとは、生命の中で最も優しい修行である。
    願が大きいほど、
    漂泊は深くなるからだ。

    それでも海風は、何度も鑑真を岸へと押し戻した。
    諦めるよう勧める者もいれば、
    涙を流す者、嗚咽する者もいた。
    だが鑑真は一言も苦を語らない。

    ただ振り返り、
    袈裟を整え、
    次の出発に備えただけだった。

    絵巻に描かれた燃えるような紅葉は、
    季節ではない。
    それは心だ。
    最も困難な中で、なお燃え続ける決意の色。

    ついに船は薩摩(今の鹿児島)に着き、
    太宰府へ迎えられた。
    この唐の高僧は、
    半生の漂泊をもって、
    日本律宗の礎を築いた。

    画師が描いた鑑真は、
    語らず、動かず、
    ただ合掌している。
    山水は静まり、寺院は荘厳。
    すべてが、時の深みから立ち上がったかのようだった。

    彼が辿り着いたのは、
    願力の円満であった。

    ふと悟る。
    鑑真の東渡とは、
    一つの生命修行なのだ。

    願ある者は、
    見えずとも光に導かれる。
    願なき者は、
    晴天の下でも迷い続ける。

    鑑真は「なすべきこと」を、
    極限まで成し遂げた。
    海さえ道を譲り、
    千年後の人が、
    なお絵巻の前で涙するほどに。

    奈良・東大寺にて、
    天皇・皇后・皇太子に戒を授け、
    日本はここに、
    真の律学の脈を得た。
    京都に連なる無数の寺院も、
    その瞬間から魂の系譜を宿した。

    鑑真をかたどった 脱胎乾漆 の像は、
    空心でありながら、
    沈黙の奥に深い慈悲を湛えている。
    鹿児島の石像の前では、
    風さえも道を譲るように感じられる。

    休憩時間、講堂は静まり返り、
    ふと、資定法師 との間に、
    言葉にならない因縁が横たわっている気がした。
    訪れるたびに師に出会い、
    今日は偶然、隣に座して、
    千年前の海と願心の話を共に聴いていた。

    その瞬間、
    仏教文化を学ぶとは、
    難解な理を理解することではないと知った。

    物語が心に届いた時、
    自分もまた、
    海風にそっと吹かれたのだ。

    その風には、
    遥かな潮の音と、
    消えることのない先人の光が、
    確かに含まれていた。

    在光中看見千年的渡海

    鑑真和尚,唐代高僧,日本律宗初祖,被稱為「過海大師」。一生六度東渡,五度折返,或遭官府阻攔,或遇上飓風巨浪。

    東征傳繪卷卷二: 狼溝浦遇難是繪畫史上第一幅海難圖的年代,浪濤無情,風雨逼人,他卻總是能把身心供養給願力。

    東征傳繪卷卷二: 狼溝浦遇難-
    繪畫史上第一幅海難圖

    有人問,何以如此堅持?
    或許,只因他相信心若穩固,海就會讓路。

    有些人的一生,像一盞燈。
    不是因為他們站得高,而是因為,他們在風雨裡從不熄滅。

    傅朝卿教授今天講述鑑真大師,字字落地,像把千年前海上的潮聲重新喚醒。

    鑑真與弟子榮叡,自揚州出發,一路往南,到端州龍興寺。彼時榮叡積勞成疾,在途中病倒。明知自己將不到日本,便拚著最後一口氣,只為向師父說一句:「一定要把律法帶到東瀛。」
    畫卷中,榮叡端坐在山間,四周靜寂,一如他生命的最後時刻。那寧靜,是大願傳承前的深海。

    人世的送別從來如此。離開的人安穩如山,留下的人卻在山風裡淚眼迷蒙。

    天寶十二年,藤原清河再度率使節團前來大唐,彼時的鑒真已 #雙目失明,卻比看得見的人更明亮。他聽到遠道而來的請法之聲,便說:「既然日本還需要戒律,我便再走一次。」

    彼時的大明寺,江風吹著山櫻,花影落在石階上。鑑真大師走過其間,步伐沉穩得像記憶。
    日本使節穿著淡色「直衣」,恭敬隨行,宛若時光前後交錯,將兩國的命運牽成一線。

    這一線,就是願力。

    第五次東渡,風向乖戾,船在東海漂流十四天,後又漂出更遠,被捲到海南三亞。
    浩瀚的波濤像無盡的考問:
    「依然願意走下去嗎?」

    鑑真沒有回答,他只是繼續向前。

    三亞至今仍留著「羅經坡」、「大小洞天」等地名,那是鑑真留下的痕跡。
    願力走過之處,風景便不再只是風景。

    百姓餽贈衣食藥材,畫卷上每一張臉都帶著樸實的光。有人頂著荔枝,有人手捧水罐,有人只是站著微笑,那是最靜默的敬意。

    從龍泉寺秘密出航時,鑑真剛踏上船,就有十四位沙彌划著小舟追上來。
    他們說:「大和尚,您不辭辛苦東渡日本,路途遙遠相見無期,請讓我們再看一眼您慈祥的面容」船上的人都合掌送行,鑒真雙手合十,久久無語。

    那一幕像時間的海面突然張開,讓所有人的心都露出柔軟底層。

    離別,是生命裡最溫柔的修行。
    因為我們知道,願越大,漂泊就越深。

    即便如此,海風多次將鑒真推回岸邊。
    有人勸他放棄,有人為他落淚,有人甚至悲痛失聲。鑑真大師不曾說一句苦,他只是回過身,把袈裟理整,準備下一次的出發。

    畫卷中那棵燃紅的楓樹,不是季節,而是心。
    是人在最艱難中仍燃起的決心之色。

    當船終於抵達薩摩(今鹿兒島),再被迎至太宰府時,這位大唐高僧,用半生的漂泊,換得日本律宗的根基。

    畫師筆下的鑑真,不語、不動,僅以合掌示敬。山水靜穆,寺院莊嚴,一切像剛從時間深處升起。他抵達的是他願力的圓滿。

    忽然明白:
    鑑真東渡的故事,是一種生命修行。

    有願的人,即使看不見,也會被光引領。
    無願的人,即使天氣晴,也會在原地迷路。

    鑑真把「要做的事」做到極致。
    做到海都會讓路,做到千年後的人,依然能在畫卷前落淚。

    他在奈良東大寺,為天皇、皇后、太子授戒,讓日本自此真正有了律學的根基。京都那千座佛寺,從那一刻開始,獲得了靈魂的脈絡。

    鑑真在唐招提寺的像「 脫胎乾漆」的空心造像,是以他本人為原型,沉默卻帶著慈悲的深度。鹿兒島上也刻著他的石像,風似乎都懂得繞著它走。

    鑑真唐招提寺的「 脫胎乾漆」空心造像-
    本人為原型,沉默帶著慈悲的深度

    休息時間講堂安靜,忽然生出一種溫柔的感覺,自己與住持資定和尚尼之間,藏著什麼說不清的因緣。每一次到訪,常能遇見師父;今天,竟能坐在她身旁,一起聽傅老師講授千年前的大海與願心。

    住持資定和尚尼與傅朝卿老師

    那一刻,覺得學習佛教文化,不是去理解什麼深奧的道理,是當故事被講到心裡時,
    覺得自己也被海風輕輕吹了一下。

    那風裡有遙遠的潮聲,有前人未滅的光。

  • 人們常說,器物有靈。
    在歲月流轉的地方,一只瓷碗,便能盛住一個民族的呼吸。

    竹園岡文物館 的 「 #瓷深の約定」特展(12/06–12/18),在冬日悄悄展開。
    瓷器的光澤承載著千年文化的回聲,是在塵世裡輕輕打開的一盞燈。燈光落在瓷器上,落在碎裂與修補之間,落在匠人手心溫熱的痕跡裡。那些器物靜靜地站著,在說:「相見於瓷」我們相遇在時間之外。
    自蘭亭曲水流觴而來,千年以前的文人雅集,把人生的風雅寄託在一觴一咏;千年以後,我們在展場裡凝視一只碗、一只壺,仍能聽見溪水聲淙淙,洗去人心上的浮塵。瓷器最動人的地方,正是它用最平靜的方式告訴我們:生活雖然粗糙,仍可以選擇優雅。坐在南一中盧宥豪同學準備的茶前慢慢地呼吸,會發現那是一種安靜的祝福。祝福我們,在匆忙的日子裡,仍能保留一點細緻;在無常的人生裡,仍能端起一只杯,接住自己柔軟的心。

    展場裡,重建的戰後廚房景象,讓人回到母親輕聲叫喚的黃昏。灶台邊的火光跳動著,碗盤承受著一家人的餘溫。「家庭」不是聲音,是味道;不是語言,是器皿上反覆摩挲的痕跡。彩繪花鳥紋盤、山水紋花口碗、青花印判花草紋的小杯,都有著一種熟悉的溫度,是家裡某個角落悄悄躺著的物件,不奢華,卻讓人心裡安定。甚至連那件朴素的「榊立」,也是守護歲月的神祕使者,提醒我們:生活其實只是用簡單的器物,盛起複雜的心事。

    看著這些器物,忽然明白人世間所有的相遇,都像瓷器的修補。不是因為完美才值得珍惜,而是因為破碎過、重生過才有了光。

    感謝 #教育部國民及學前教育署 指導,
    感謝主辦單位 #國立臺南第一高級中學,及以生命照亮教育道路的 師鐸獎董怡君老師、楊秀蘭老師。感謝日本 仙台市立仙台青陵中等教育學校 的協辦,研究部長 島倉透子 與教育相談部長 武田祐子, 佐藤秋穂 老師讓跨越海洋的緣分,在此刻悄悄發光。在動盪的世界裡,我們懂得每一次相遇都來之不易。

    器物因手心而溫,人心因相遇而深。
    這份跨越生命與文化的「約定」,在特展的時間軸裡慢慢亮起,也在我們的日常裡留下了一盞小小的光祈願這份跨越人與生命、跨越文化與國度的「此生約定」長存。祈願台灣與日本在彼此需要的時候,永遠同心同行。我們的下一代,在這些被溫柔呵護的種子裡,長出理解、友誼與和平的花朵。

    教育讓我們跨過語言,跨過距離,讓孩子們在彼此眼裡,看見世界的亮光與希望。國與國的距離,便可以因為一群真心的老師與學生,變得如此親近。

    人は昔から、器には魂が宿ると言う。
    歳月が流れる場所で、一つの碗が、ひとつの民族の呼吸をそっと抱いている。

    竹園岡文物館の「瓷深の約定」特展(12 月 6 日〜18 日)は、冬の気配の中で静かに幕を開けた。
    陶器の光は、千年の文化の余韻を湛え、
    ひっそりと世塵の中に灯された小さな灯火のようである。
    その光は、割れと継ぎの狭間に、職人の温かな手の跡にやわらかく降りそそぎ、
    器たちは静かに立ち、
    まるで「瓷にて相逢ふ-時を越えて、ここに」と語りかけてくるようだ。

    蘭亭の曲水流觴よりつづく風雅は、
    千年前の文人たちが、一觴一詠に人生の美しさを託したものであった。
    千年の後、私たちは展示室で一つの碗を、一つの壺を見つめ、
    流れる水音がまだ耳の奥に響くかのように、心の塵を洗い落としてゆく。
    陶器がもっとも美しいのは、
    粗い世の中でも「優雅を選びとる心」がまだ私たちの中にあることを、
    そっと思い出させてくれるところだ。

    南一中の盧さんが淹れてくれた茶の前に座り、静かに息を整えると、
    それは一つの静かな祝福のようであった。
    忙しさの日々の中に、わずかな細やかさを残すように。
    無常の人生にあっても、一つの杯を手にし、自らの柔らかな心を受け止めるように。

    展示には、戦後の家庭の台所が再現されていた。
    夕暮れ、母のやさしい呼び声の風景がふっとよみがえる。
    かまどの火がまたたき、碗は家族の体温をそっと受け止めていた。
    家というものは、声ではなく、味であり、
    言葉ではなく、器の表面に残る指先の記憶なのだ。

    彩絵花鳥文の皿、山水文の花口碗、青花印判の小さな杯
    どれも、家の片隅で静かに寄り添っていたもののように、
    華やかではないが、胸の奥を温めてくれる。
    素朴な「榊立」でさえ、時を見守る小さな守り神のように思え、
    人生とは結局、簡素な器に複雑な思いをそっと注ぐ営みなのだと気づかされる。

    これらの器を見ていると、ふと悟る。
    人の出会いもまた、陶器の「継ぎ」のようなものだ。
    完全だから美しいのではない。
    傷つき、なお再び結ばれるからこそ、光が生まれるのだ。

    教育部国民及学前教育署への深い感謝、
    主催の国立台南第一高級中学、
    そして生命をもって教育を照らす董怡君先生、楊先生へ。
    さらに日本・仙台市立仙台青陵中等教育学校の協力、
    研究部長の島倉透子先生、教育相談部長の武田祐子先生、佐藤秋穂先生
    海を越えた絆が、この瞬間に静かに輝きを放っている。
    揺れる世界の中で、一つの出会いがどれほど貴いものかを、今あらためて思う。

    器は手に触れて温まり、
    人は出会いによって深くなる。
    命と文化をつなぐこの「約定」は、
    展示の時間の流れとともに静かな光を放ち、
    私たちの日常にも、小さな灯火を残してくれた。

    この約定が、これからも長く続きますように。
    人と命、人と国とを越えた「此の生の約束」として。
    台湾と日本が、互いを必要とする時、いつも心を寄せ合えますように。

    そして次の世代が、
    この温かく守られた種子から、
    理解と友情と、平和の花を咲かせますように。

    教育は、言葉を越え、距離を越え、
    子どもたちの瞳に新しい光を灯す。
    国と国との距離は、
    真心を持つ教師と学生たちによって、こんなにも近くなるのだ。

    師鐸賞を受賞した董怡君先生
    南一中の盧宥豪さん
  • 聆聽 臺灣文化獎 傅朝卿教授講述佛像千年的旅程時,當他提到 毘首羯摩那位以一刀一鑿為神明開出形相的雕刻之神,
    也提到伎藝天 時,心忽然被什麼輕輕觸動。

    毘首羯摩與伎藝天的形象,不只留在古老典籍裡。京都國立博物館外牆的浮雕,也讓他們並肩而立:
    一位是匠心的凝定,一位是靈感的流動。
    告訴人們藝術不是單靠才情,也不是只靠技巧,
    而是兩者在呼吸之間互相成就。

    京都國立博物館外牆的浮雕

    或許正因如此,對伎藝天多了一分親近感。
    因為她的光柔和、安靜,
    像晨霧裡的一線淡白,
    看見的人自然會平靜下來。

    若真有什麼相通,她的眼神像在傾聽世界,
    而我常常試著傾聽文字;
    她的神情像下一句樂音正要落下,
    而我在寫作時,也常感覺故事正在靜靜生成。

    如果說造像能以形相托付精神,
    那麼人,也會在無聲裡流露自己的因緣。
    氣質並非刻意,是一種不自覺的示現。

    所以,當佛像從印度啟程,
    跨越龜茲、穿過中土、抵達日本,
    在那漫長遷移裡,忽然生出一種安穩的感受-
    在千年旅程的縫隙中,看見一點屬於自己的光。
    那並不是「像誰」,
    而是「原來我們也曾被某種光靜靜照過」。

    那一瞬間明白了:
    緣分不是找到一張臉、一個形相,
    而是認出心裡那道悄悄亮起的微光。

    台湾文化賞 を受賞した傅朝卿教授の、
    千年にわたる仏像の旅を語る講座に耳を傾けていると、
    毘首羯摩神の姿を一鑿ごとに彫りあらわす工芸の神、
    そして伎藝天の名が出たとき、
    心のどこかがそっと触れられたように思えた。

    毘首羯摩と伎藝天の姿は、古い経典の中だけにあるのではない。
    京都国立博物館の外壁にも、ふたりは寄り添うように刻まれている。
    ひとりは技の静けさを、
    ひとりは芸のひらめきを。
    芸術とは、才気だけでも、技術だけでもなく、
    その呼吸がふたりの間でひそやかに通い合うことなのだと告げているようだった。

    だからだろうか、伎藝天には、
    どこか親しみをおぼえる。
    彼女の光はやわらかく、静かで、
    朝の霧の中にひとすじ射す淡い白のようで、
    見つめるだけで心が静まっていく。

    もし何かが通じるとすれば、
    彼女のまなざしが世界の声を聴こうとするように、
    私は言葉の奥にある気配を聴こうとしているからだろう。
    彼女の表情が次の音を待つように静かであるように、
    私は物語が生まれる気配を、そっと胸の中で感じている。

    かたちある像が精神を託されるように、
    人もまた、声なきところで縁をあらわす。
    気質とは、意図ではなく、ふと漏れ出るものなのだ。

    そして、仏像がインドを出て、
    龜茲を越え、中国を過ぎ、日本へと至る長い旅路の中で、
    私はふと、心の奥に小さな安らぎを覚えた。
    千年の旅のすきまに、
    自分にも寄り添うような微かな光を見た気がしたのだ。

    それは「誰かに似ている」ということではない。
    ただ、「自分もまた、どこかで静かな光に照らされたことがあった」
    その小さな気づきであった。

    その瞬間、分かった気がした。
    縁とは、一つの顔や形を探し当てることではなく、心の中にそっと灯った微光を、
    自分のものとして認めることなのだと。

    静かな光を聴くとき——伎藝天と私の小さな縁
  • 京都清涼寺 的釋迦立像並不是「空心」的。
    在祂的胸腔、腹腔之內,安放著一套用絲綢縫製的 五臟六腑。

    臺灣文化獎 的 傅朝卿 教授 在 竹溪禪寺竹溪書院 分享 講座裡,佛像腹內取出的文書與織物,打開一個千年的秘密。

    原來, 京都清涼寺 的釋迦立像並不是「空心」的。
    在祂的胸腔、腹腔之內,安放著一套用絲綢縫製的 五臟六腑-心、肝、脾、肺、腎,甚至牙齒、血管、神經,都以纖細的絲線表現出來。

    這是世界上現存 最早的內臟模型 。
    那些看似脆弱的絲布,在千年之後依然溫柔地訴說著:

    「佛像不是木頭,而是人心寄託的軀體。」

    在 入瑞像五臟具記捨物注文 中記載得更清楚。雍熙二年,西元985年,
    於「台州開元寺」完成清涼寺釋迦立像的分刻像,就是今日京都清涼寺釋迦如來立像的誕生地。

    當完成這尊像時,許多僧侶與信者,把他們最珍貴、最柔軟的供物放入佛腹之中- 台州 的都僧正景堯 以水晶珠、開元寺僧德宣等8名僧侶則以水晶與琥珀、牟瑙之珠、水月觀音鏡、鈴子、佛眼珠等,蘇州的道者僧以水晶珠等作為喜捨; #妙善寺 寺尼清曉等5名女性,縫好了胃、心臟、肝臟等五臟模型,小心地奉納。

    那是一種很深的心意:
    把最脆弱的,供養給最慈悲的。

    而 奝然上人,把 佛舍利 一顆、 菩提念珠 一串、最勝王經 等卷,一併奉入佛像。末尾記錄雍熙2年8月18日提及参與造像的「造像博士 張延皎」以及「當行造像僧居信」的名字。包覆此目錄的包紙封印上,寫有「入瑞像五臟文奝然謹封」。宛若是把自己的身心,也託付了進去。

    看著那些絲製的五臟,當下忽然明白:

    人們不是在造一尊佛,
    而是在造一個「願心的形體」。
    每一片絲布都像是一個祈禱:
    願佛住世,願心安穩,願生命有光。

    佛像有內臟,是因為眾生希望祂懂得痛,懂得愛,也懂得我們。

    千年以前的人認為:
    若佛也有五臟六腑,就能更貼近世間的苦,
    更容易聽懂人心。

    想到這裡,突然覺得很動容。
    原來佛不只是坐在高處的覺者,
    祂也被人們以最溫柔的方式,邀請進了自己的身體與生活。

    人們在佛腹中放什麼,
    其實也在回望自己心中最柔軟的部分。

    「心在哪裡,光就在哪裡。」

    在釋迦立像的腹腔中,
    那一雙雙手縫出的五臟六腑,
    便是千年前人心的一盞盞光。

    臺灣文化獎 傅朝卿 教授

    千年の光が、静かに息づく場所で

    清凉寺釈迦像の胎内に宿るもの

    台湾最古の寺、竹渓禅寺の書院で、
    傅朝卿教授の声を聞いていると、
    まるで時間が透きとおり、
    空気に淡い光が沈んでゆくようであった。

    京都・清凉寺の釈迦立像。
    その胎内に、
    絹で縫われた五臓六腑が収められているという。
    心も、肝も、腎も、
    細い糸の脈までも。

    千年を越えて残るその布は、
    触れればほどけてしまいそうに脆く、
    しかし、どこか人の温度を帯びている。

    雍熙二年、九八五年。
    台州の開元寺で刻まれた像は、
    幾人もの僧や女人たちの手によって、
    静かに「いのち」を与えられた。

    水晶、琥珀、鈴の音。
    それぞれの思いが、
    佛の腹の深い闇へ沈められてゆく。
    まるで、心のいちばん柔らかな部分を
    そっと包み隠すかのように。

    奝然上人もまた、
    念珠と経を託したという。
    その仕草は、
    自分の息のひとかけらを
    佛へ預けるようでもあった。

    人は佛を木から刻んだのではない。
    願いの形を、
    千年の時に渡して残したのだ。

    もし佛が五臓六腑を持つなら、
    痛みを知り、
    愛を知り、
    私たちの影に寄り添ってくれるだろう。

    そう思うと、
    胎内に縫いとめられた一枚の絹が、
    ふっと息づくように見えた。

    心のあるところに、光が生まれる。

    釈迦如来の胎内の静かな闇に、
    幾つもの手で縫われた五臓六腑は、
    千年前の人々の心がともした
    ひとつ、またひとつの光 である。

  • 清凉寺釈迦如来立像

    今天文化獎的傅朝卿 教授在竹溪禪寺竹溪書院 分享佛像的旅程,從印度,到新疆龜茲,再進入中國,最後抵達日本。

    京都清涼寺所供奉的釋迦立像,長久以來被稱作「三國傳來的本尊」,也就是傳說中 優填王所造的釋迦真容像。優填王(梵語:Udayana / Udena),是古代印度大國 拘薩羅國(Kosambi) 的國王,是佛教傳說中 「第一尊佛像的造像者」-佛教藝術從「無佛形」走向「有佛形」的轉折點。

    這尊佛像究竟是不是那一尊「原像」?
    還是後來依據經典與傳說所再製的「分刻像」?在奝然上人 的記錄與近代科學檢驗之間,慢慢浮現出新的答案。

    一、宋代記錄:
    奝然在汴京開封禮拜的「靈驗像」
    根據文獻,奝然上人在宋朝雍熙元年(984 年)於當時的汴京(開封)禮拜了一尊據說由印度優填王所造的靈驗釋迦像,感應深刻,於是請工匠摩寫、依樣刻製。隔年雍熙二年(985 年),於台州佛寺完成分刻像並帶回日本,這就是今日清涼寺的本尊立像。

    佛像腹內封存的文書
    奝然入宋求法巡禮並瑞像造立記 清楚記載:
    背板刻有佛師 張延皎、張延襲 二人的名款。已經表明這是 宋代所造 的佛像。

    二、科學檢驗:
    木材不是印度香木,而是中國櫻桃木
    傳說中此像使用 #印度赤栴檀,但檢驗後發現:木材其實是 中國土產的鵝氏櫻桃木。
    這與宋代工坊常用的材料完全吻合。
    頭髮的繩索狀刻法、大衣覆雙肩的樣式、
    衣紋的心形紋飾等,也都顯示出中亞早期佛像的共通性。進一步支持:清涼寺本尊並非三國原像本體,而是宋代根據古像所製的分身像。

    三、匾額寫著 「 栴檀 」指的就是傳說中優填王所造的栴檀佛像,人類歷史上第一尊佛像 的原型。向觀者 暗示殿內所奉的釋迦如來立像,被視為「栴檀佛」的本尊。

    這尊佛像不只是宋代工匠模刻的再製像,
    而是與優填王所造佛像「同形、同願、同靈驗」的 原像系譜 之一。

    「栴檀像」同於佛陀在人間留下的「真容印」

    供奉栴檀像等同親見如來,告訴信眾:此處供奉的是佛教造像的源頭,這塊匾額不是裝飾,是 身份宣告。相當於跟所有進殿的人說:「現在所見,不只是木雕,而是源自佛陀時代最初的形相。」

    四、佛畫傳說:
    原像與再製像之間的交換
    有趣的是佛畫裡留下了一個細節:
    其中的本尊與再製像,
    奝然所帶回日本的那尊像原為「本尊」,卻在
    去日本之前「自行互換了位置」。而留在中國的那尊本尊古像,在戰亂時佚失。

    去日本之前「自行互換了位置」
    奝然上人


    這讓人意識到:
    信仰中的「真」往往不是用年代決定的,
    而是由 千年來被頂禮、被訴願、被祈求 的心所決定的。

    本尊不在形相,而在因緣
    於是,問題回到最終的核心

    哪一尊才是真正的本尊?

    從信仰與因緣看,千年來接受無數香火、願心與禮拜的,就是本尊。

    佛像的旅程從印度出發,
    跨越龜茲、穿過中國、抵達日本,
    經歷再製、交換、誤認與再發現,
    但每一步都是因緣。
    原像可能不在,
    但佛在因緣處、就在信心處,從不曾離開。

    就像金剛經所說:

    「如來所有相,皆是虛妄;
    若見諸相非相,則見如來。」

    佛像的年代會變,材料會變,
    甚至本尊與再製像,也可能在歷史的縫隙裡互換位置。

    但佛從來不在木頭裡,
    不在雕刻的年代裡,
    不在名為「本尊」或「分刻像」的分別裡。

    真正的佛,是那一念能看穿「相」的心,
    是能在一尊像前流淚、祈願、思念、安定下來的那份清涼。

    因此,不論京都清涼寺的釋迦立像
    是三國原像,或是宋代重製,
    被頂禮的一千多年構成了它的「如來性」。

    見相,不執相;
    越相,則見佛。

    這正是奝然上人帶回來的,不是木雕的佛身,
    而是讓人「見諸相非相」的那一份清涼信心。

    佛像の旅路と栴檀像の因縁

    本日、#台湾文化賞 の受賞者である #傅朝卿教授 が
    竹渓禅寺・竹渓書院 にて語られたのは、
    インドから始まり、新疆の亀茲、中国本土を経て、
    そして日本へと至る――
    仏像の長い旅の物語 でした。

    京都 清凉寺 に安置される釈迦立像は、
    長いあいだ「三国時代から伝わる本尊」、
    すなわち伝説にある 優填王(ウダヤナ王)が造った真容像 とされてきました。

    優填王(梵語:Udayana / Udena)は
    古代インド・拘薩羅国(コーサンビー)の王であり、
    仏教伝承において 「人類最初の仏像を造った王」 とされています。
    つまり、仏教美術が「無仏像」から「有仏像」へ転じる
    最初の扉を開いた人物です。

    一、宋代の記録:

    奝然上人が開封で礼拝した「霊験像」

    文献によれば、奝然上人 は雍熙元年(984)、
    宋の都・開封で「優填王造」と伝わる霊験の釈迦像を礼拝し、
    深い感応を得て、その造形を写し取ることを願いました。

    翌・雍熙二年(985)、
    台州の寺院で分身像が完成し、
    日本へと請来された――
    これこそが、現在の 清凉寺釈迦如来立像 です。

    仏像の腹内に納められていた文書
    『奝然入宋求法巡礼并瑞像造立記』 には、
    背板に 張延皎・張延襲 の名が刻まれており、
    この像が 宋代の作品 であることが明らかです。

    二、科学的検証:

    木材はインド産ではなく、中国の桜材

    伝承では「インドの赤栴檀を用いた」とされますが、
    科学調査の結果、材質は 中国産の桜材(オオヤマザクラ) と判明しました。
    これは宋代の工房で一般的な材料です。

    さらに、
    縄状の髪型、大衣が両肩を覆う形式、
    衣紋のハート形文様など、
    造形上の特徴も 中亜〜宋代の仏像の共通性 を示しています。

    よって、清凉寺本尊は
    「三国時代の原像」ではなく、
    宋代に古像を写して造られた分身像 と考えられます。

    三、「栴檀像」と記す扁額の意味

    堂内の扁額にある 「栴檀像」 の「栴檀」とは、
    優填王が造立したとされる 最初の仏像(栴檀仏) を指します。

    すなわち、扁額は
    この釈迦立像が単なる宋代の模刻ではなく、

    「優填王造像と同じ形・同じ願・同じ霊験」を受け継ぐ本尊

    であることを示す 宗教的アイデンティティの宣言 なのです。

    「栴檀像」は、
    如来の「真容の痕跡(しるし)」を意味し、
    それを礼拝することは
    如来そのものに対面することに等しい とされます。

    四、仏画に残る伝承:

    原像と再製像の「すり替わり」

    興味深いことに、一部の仏画や伝説には
    「本尊と分身像が、渡日以前に 自ら位置を交換した」
    という記述が見られます。

    その後、中国に残った古像は
    戦乱の中で行方知れずとなり、
    日本へ渡った像が
    事実上の「本尊」として千年の信仰を集めました。

    ここに浮かび上がるのは、
    本尊性は年代ではなく、
    長い歳月にわたる祈りと願心によって決まる
    という、仏教的な理解です。

    本尊は形にあらず、因縁にあり

    仏像の旅路は、
    インドから始まり、亀茲を越え、中国を渡り、日本に至り、
    再製・交換・誤認・再発見を経て今日に伝わります。

    原像が失われても、
    仏は因縁のあるところ、信心のあるところに現前する
    というのが仏教の立場です。

    『金剛経』に曰く:

    「如来のもつ一切の相はみな虚妄なり。
    もし諸相を相に非ずと見るならば、すなわち如来を見る。」

    仏像の年代が変わろうと、
    素材が変わろうと、
    本尊と分製像の位置が歴史の中で入れ替わろうと

    仏は木材の中におらず、
    年代の中にもおらず、
    名前の区別の中にもおられません。

    真の仏とは、「相」を越えて見つめる心そのもの。
    一尊の前で涙し、祈り、安らぎを得るその清涼の心です。

    千年にわたる礼拝と願心が、
    清凉寺の釈迦立像を
    「如来そのもの」として立たせてきました。

    相を見て相に執せず、
    相を越えて仏を見る。

    奝然上人が日本へ持ち帰ったのは、
    木彫の身体ではなく、
    人々をして「諸相非相」を悟らせる
    清涼なる信心 だったのです。

  • その一瞬一瞬に、
    心をそっと一つの舞にする。

    年底的芭蕾舞比賽,原以為只是小小登台,
    一件事輕輕落在日曆上,如風把窗簾吹動一下,
    不以為意。

    誰知道親友團竟這樣踴躍!!!!!!!!!!!
    三百人的劇場,索票的 QRcode 被掃得比我旋轉得還快,人情的溫度隨之起舞。

    抽到 1 號 的那一刻,心裡輕輕一震,
    命運把第一束光遞到手上:
    腳尖落地的地方,便是當下最真實的世界。

    特別感謝遠從台北台中南下的索票親友們,
    謝謝 玲珠阿姨、良文阿姨,
    還有 劉文雅老師 與 劉佩貞 老師。
    人在旅途中,最怕的是無人等候;
    而您們來了,使舞臺都有了亮色。
    正念告訴我們-被看見的瞬間,只需好好接住。

    謝謝願意到場,陪伴在燈光下,
    用最安靜的方式發光。
    舞裙轉起來的一刻,忽然明白,
    原來舞者從來不是孤單的!

    每一圈旋轉,都是您們托住的風。
    在呼吸裡,把步伐放得更穩;
    一吸一吐之間,心也跟著旋轉得更明亮。

    期待那天能用小小的舞步說聲謝謝,
    不喧鬧,也不矯情,
    一句只在心裡開過花的話;
    一次靜靜的覺察,在光落下的那一秒,
    對世界輕輕點一個頭。

    祈願舞台上亮起的每一秒,
    都讓您們看見:
    那些不說出口的努力,
    正悄悄長出翅膀。

    這一次忙完,接下來的畫布上,
    會開始準備「正念芭蕾舞系列」。
    把舞不完的輕盈、跳不盡的堅持與飛翔,
    在心安定的地方,再熱情展現一次。

    祈願畫筆尖落下之處,
    便是一場呼吸裡的舞。

    在每個當下提醒自己-
    此刻,就是最好的起舞時刻。

    年末のバレエコンクール。
    ただの小さな舞台だと思っていたことが、
    手帳の端にそっと落ちた一つの予定のように、
    風がカーテンを揺らすほどの軽さで、
    深くは気に留めていませんでした。

    まさか、こんなにも友人たちが応援してくれるなんて!!!!!!!!!!!
    三百席の劇場で、チケットの QR コードは
    私の回転より早く読み取られ、
    人の温度がそのまま踊り出すようでした。

    そして 1番 を引いた瞬間、胸の奥がふっと震え、
    運命が最初の光を手渡してくれたようでした。
    つま先の触れる場所こそ、
    いま生きている「ほんとうの世界」だと気づきます。

    台北・台中からはるばる南下してくださった皆さま、
    玲珠おばさま、良文おばさま、
    そして 劉文雅先生、劉佩貞先生、
    心からありがとうございます。
    旅の途中でいちばんこわいのは、
    迎えてくれる人がいないこと。
    でもあなた方が来てくれたことで、
    舞台はたちまち色づきました。
    正念は教えてくれます
    見つめられたその一瞬を、ただ静かに受け取ればいい と。

    照明の下、
    そばにいてくださるあなた方の存在に支えられ、
    私は最もしずかな光で輝くことができます。
    スカートがふわりと回ったその刹那、
    舞う者は決して一人ではないと知りました。

    一回転ごとに、
    あなた方が運んでくれる風が背中を押してくれる。
    呼吸の中で歩みをすこしだけ深く落とし、
    吸って、吐いて、
    心までもいっしょに明るく回り出す。

    本番のその日、
    小さな一歩で「ありがとう」を伝えられますように。
    声に出さなくても胸の中で静かに咲く花のように、
    光が落ちる一瞬を見つめながら、
    世界にそっと会釈をするように。

    舞台の灯りがともるそれぞれの秒(とき)が、
    どうか見届けてくれますように
    言葉にならない努力が、
    そっと翼へと変わっていく姿を。

    この忙しさがひと段落したら、
    次のキャンバスには「マインドフル・バレエ」シリーズを描き始めます。
    踊りきれない軽やかさも、
    跳びつづける意志と飛翔も、
    心の静まる場所でふたたび熱く描いていくつもりです。

    筆先がおりるその瞬間が、
    どうか一つの呼吸の舞となりますように。

    そしていつも自分に言い聞かせます
    いまこそが、いちばん美しく踊れる瞬間なのだ と。

  • 支持台灣古典藝術基礎教育聯展

    萬分感謝 童郁茹理事長的邀約,
    致詞,大概很少像今天這樣,直到此刻心仍是澎湃的,那是一種被文化與歷史輕輕托起的感動。

    台灣古典藝術基礎教育是一條從土地、語言、宗教、多元族群共同編織而成的長線。它的根源,比課堂上的技法更長,比教材範例更深。台灣的古典藝術不是單一路徑,是「多源匯流」的河。

    自己對嘉義特別有感情-
    今年在京都畫展中,顏料未乾但仍堅持掛上的油畫,畫的正是嘉義。因為當年 八田與一建造的嘉南大圳,讓嘉南平原成為台灣稻米的重要穀倉。也因著台灣人對土地的精緻耕耘,在英國念書時,台灣米是比日本米還貴-那是一種被世界看見的尊嚴。

    提到今年的金馬獎。
    在最有限的預算裡,做出了最有溫度的呈現;
    在複雜時代的縫隙裡,用盡力量守住一塊創作的自由土壤。爭議仍然會有,因為台灣的地位本就微妙、矛盾,卻也寬廣。努力成為一個「開放、獨特、有生命力的文化空間」。提醒我們:每一次張力,都是看到多元的機會。

    這,也正是台灣古典藝術教育的價值。它的本質,是多文化共生的審美融合,不是封閉的古典性,而是「願意敞開」。我們願意讓不同聲音、不同生命、不同文化在此相遇。

    想向所有來到台灣的藝術家表達最深的謝意,包括膠彩國寶黃重元老師,行動不便,81歲的他仍從台北專程過來參與。謝謝您們用音樂、舞蹈、畫作,與我們一起在這片自由的土地上,分享生命、傷痕、希望與情感。

    我們這一代仍走在身份認同的薄霧裡,
    但也因彼此的扶持,而有了亮光。
    那亮光,是從歷史中誕生的慈悲;
    也進入正念的入口:
    看見痛、理解痛,而不被痛吞沒。

    陳澄波先生所屬的臺陽美術協會
    成立於昭和9年剛好是我生日的同一天。這是一種默默的提醒:在這片自由土地上,創作要持續、當勇敢的臺灣人。

    謝謝在場的藝術家們,年復一年地守護創作的空間。只要我們願意呼吸、願意看見,好的作品就會誕生,創作者就會被世界聽見。

    祈願我們以自由為軸、以包容為路、以故事為光。在這片土地上,我們一起看見、理解、接納,溫柔地用藝術把故事說下去。

    當天小提琴家現場演奏 杜思牧先生的第二樂章 淡水。小提琴在這裡宛若畫筆:
    輕輕點上去的顏色,沒有宣告,只有存在。
    聽著聽著,會想到那些沒說出口的心意、
    來不及道謝的緣分、在光裡消失的背影。
    然後學會把這些交給河。

    於是帶著大家做了一段很簡單的正念減壓,

    讓每個人都能在更平靜、更敞開的心境裡,
    去迎接接下來的舞蹈與音樂-
    把心安放好,再讓美流進來。

    在此向幾位貴人道一句深深的謝謝:

    謝謝陳春陽老師慷慨分享油畫畫冊,
    謝謝周偉倪院長溫暖提供珍貴的照片,
    謝謝書法家 謝彥杉老師贈予馬年春聯,
    謝謝嘉義大學謝登源教授、台灣碳盤查產業工會王靖惠理事長、高雄市廣告創意協會李宏文理事長讓這場活動多了一分人情的香氣、文化的厚度,也多了一份「被祝福著」的美好。

    #台灣傳神藝術
    #財團法人王科文化基金會
    #財團法人杜聰明博士獎學基金會
    #財團法人陳澄波文化基金會
    #嘉義縣政府

    在京瓷美術館展出的油畫-嘉義
  • 謝謝學妹分享我在 #綠苑美展 #有情生命美展 展出的畫。畫中的毛毛,如今早已在天家,但每一次看見她的模樣,心裡仍像被一陣柔風輕輕撫過,那是一種記得曾經被愛的溫度。

    毛毛臨走前一週,我還像個不願長大的孩子,半開玩笑、半認真的對她說:「妳不要死在家裡嚇我喔,我會怕。」那時只覺得自己幼稚,如今回想,卻像是生命最後的交換。我怕被嚇到,而她竟用最乖巧的方式成全了我。當她開始不吃不喝的那天,把她抱去醫院,她竟當天就在那安安靜靜地走了。怕我難受,連最後離開的方式都替我想好。

    那時我不知道,動物也會替主人安排一個不太痛的告別。

    後來那個夢,真實得像不是夢,而是另一個界的傳訊。夢裡我開著車,看見毛毛和一群狗貓一起走在畜生道上。她的毛髮仍亮著,站姿一樣優雅。我叫她,叫得幾乎要掉了魂:「跟我回家。」
    但她沒有回頭,也沒有認出我,只是靜靜地往前走。
    那一刻我哭得像整個世界都碎了。

    醒來後想了很久。

    也許她不是不認識我,而是生命走到另一條路上,有她要去的地方,有她的下一段旅程。我們之間的緣,在這一世已經圓滿,像一朵開過的花,不必再折返。

    正念這樣教我們:
    萬物都有去處,所有相遇,也都有它的必然。失去不是被奪走,而是生命用另一種方式繼續。

    於是我學著在呼吸間安放她,
    吸氣時記得她帶給我的歡喜,
    吐氣時放下我抓得太緊的悲傷。

    毛毛雖不再回家,
    但每一次我的心稍微變得柔軟一些,
    我知道,那一定是她從天家走過來,
    像從前一樣,用眼神輕輕貼著我的心。

    花巻の冬のことば

    肖像の中の猫、マオマオは、もう久しく天界へ還りました。
    それでもその姿を目にするたび、心に一陣の微風が触れ、
    「かつて愛を受けていた」という温かさが静かに立ち上がります。
    まるで因縁がふたたび息を吹き返すように。

    旅立つ一週間前、私はまだ幼い心のまま、
    半ば冗談、半ば祈りのように彼女へ言いました。
    「家の中で逝かないでね。私は怖がりだから。」
    そのときは軽い言葉のつもりでしたが、
    今はわかります。あれは最後の「交換」でした。
    私の恐れを、彼女は最もやさしい形で受け止めてくれたのです。

    食も水も取らなくなったその日、抱いて病院へ連れて行くと、
    彼女は静かに息を引き取りました。
    まるで、私の苦を少しでも軽くしようと、
    「穏やかな方へ」と自ら道を選んだかのようでした。

    動物もまた、愛する者のために、
    少しでも苦の少ない別れを用意してくれる——
    そのことを私は、あの日まだ知りませんでした。

    その後、夢を見ました。
    夢というより、まるで「彼岸」からの示しでした。
    車を走らせていると、マオマオが他の犬猫たちとともに
    畜生道のような道を歩いているのが見えたのです。
    毛は光を帯び、姿は昔と同じく気高かった。

    私は必死に呼びました。
    魂が引き裂かれるような声で——
    「一緒に帰ろう。」

    しかし彼女は振り返らず、
    私を認す気配もなく、
    ただ静かに、定めのままに歩み続けました。

    その一瞬、世界が砕けたように泣き崩れました。

    しかし目覚めて思いました。

    彼女が私を忘れたのではなく、
    ただ、次の生へ向かう道があったのだと。
    そこに必要な縁があり、
    彼女自身が進むべきところがあったのだと。

    この世での私たちの縁は、すでに円満していたのでしょう。
    満開を終えた花が、風に静かに散るように。
    還る必要のないほど、十分に結ばれていたのだと。

    仏の教えはこう語ります。
    「一切のものはそれぞれの行くべきところへ赴き、
    すべての出会いには因があり、縁がある。」
    失うことは奪われることではなく、
    形を変えてつづく命の流れなのだと。

    だから私は、呼吸のなかに彼女を安らかに置くことを覚えました。
    吸う息に、彼女が与えてくれた喜びを思い起こし、
    吐く息に、握りしめていた悲しみを放つ。

    マオマオはもう家へ戻らない。
    それでも、心がふっと柔らかくなるたび、
    私は思うのです。

    ——きっと彼女が天界から歩み寄り、
    かつてと同じまなざしで、
    そっと私の心に触れているのだ、と。
    The cat in the portrait Maomao has long returned to her home in heaven, yet every time I see her image, it feels as if a soft breeze brushes through my heart. It is the warmth of remembering what it once felt like to be loved.

    A week before Maomao passed, I was still childish enough to half-joke, half-plead with her:
    “Don’t die at home and scare me, okay? I’m afraid.”
    Back then it just felt silly; now I realize it was life’s final exchange.
    I was afraid of being frightened, and she, in her gentle way, honored that.
    The day she stopped eating and drinking, I carried her to the hospital, and she slipped away quietly that very day
    as if she chose the gentlest departure so I wouldn’t suffer.

    I didn’t know then that animals also arrange a less painful farewell for the ones they love.

    Later, I had a dream so vivid it didn’t feel like a dream at all, but a message from another realm.
    I was driving when I saw Maomao walking along the animal realm with many other cats and dogs.
    Her fur still shone; her posture was graceful, just as before.
    I called out to her, calling until my soul felt like it was tearing:
    “Come home with me.”

    But she did not turn back.
    She didn’t seem to recognize me.
    She simply kept walking, quietly, steadily.

    In that moment, I cried as if the whole world had shattered.

    When I woke up, I thought about it for a long time.

    Maybe she didn’t fail to recognize me
    maybe her life had moved on to another path, one she had to walk,
    one that belongs to her next journey.
    Our bond in this lifetime had already come full circle,
    like a flower that had blossomed completely;
    there was no need for it to return.

    Mindfulness teaches us this:
    All beings have their own destination.
    Every encounter has its cause.
    Loss is not something stolen from us
    it is life continuing in another form.

    So I learned to place her gently within my breath.
    Inhaling, I remember the joy she brought me.
    Exhaling, I release the grief I had held too tightly.

    Though Maomao no longer comes home,
    each time my heart softens, even just a little,
    I know
    it must be her,
    walking from heaven back to me,
    touching my heart softly,
    just as she once did with her eyes.