
今天文化獎的傅朝卿 教授在竹溪禪寺竹溪書院 分享佛像的旅程,從印度,到新疆龜茲,再進入中國,最後抵達日本。
京都清涼寺所供奉的釋迦立像,長久以來被稱作「三國傳來的本尊」,也就是傳說中 優填王所造的釋迦真容像。優填王(梵語:Udayana / Udena),是古代印度大國 拘薩羅國(Kosambi) 的國王,是佛教傳說中 「第一尊佛像的造像者」-佛教藝術從「無佛形」走向「有佛形」的轉折點。
這尊佛像究竟是不是那一尊「原像」?
還是後來依據經典與傳說所再製的「分刻像」?在奝然上人 的記錄與近代科學檢驗之間,慢慢浮現出新的答案。
一、宋代記錄:
奝然在汴京開封禮拜的「靈驗像」
根據文獻,奝然上人在宋朝雍熙元年(984 年)於當時的汴京(開封)禮拜了一尊據說由印度優填王所造的靈驗釋迦像,感應深刻,於是請工匠摩寫、依樣刻製。隔年雍熙二年(985 年),於台州佛寺完成分刻像並帶回日本,這就是今日清涼寺的本尊立像。
佛像腹內封存的文書
奝然入宋求法巡禮並瑞像造立記 清楚記載:
背板刻有佛師 張延皎、張延襲 二人的名款。已經表明這是 宋代所造 的佛像。
二、科學檢驗:
木材不是印度香木,而是中國櫻桃木
傳說中此像使用 #印度赤栴檀,但檢驗後發現:木材其實是 中國土產的鵝氏櫻桃木。
這與宋代工坊常用的材料完全吻合。
頭髮的繩索狀刻法、大衣覆雙肩的樣式、
衣紋的心形紋飾等,也都顯示出中亞早期佛像的共通性。進一步支持:清涼寺本尊並非三國原像本體,而是宋代根據古像所製的分身像。
三、匾額寫著 「 栴檀 」指的就是傳說中優填王所造的栴檀佛像,人類歷史上第一尊佛像 的原型。向觀者 暗示殿內所奉的釋迦如來立像,被視為「栴檀佛」的本尊。
這尊佛像不只是宋代工匠模刻的再製像,
而是與優填王所造佛像「同形、同願、同靈驗」的 原像系譜 之一。
「栴檀像」同於佛陀在人間留下的「真容印」
供奉栴檀像等同親見如來,告訴信眾:此處供奉的是佛教造像的源頭,這塊匾額不是裝飾,是 身份宣告。相當於跟所有進殿的人說:「現在所見,不只是木雕,而是源自佛陀時代最初的形相。」
四、佛畫傳說:
原像與再製像之間的交換
有趣的是佛畫裡留下了一個細節:
其中的本尊與再製像,
奝然所帶回日本的那尊像原為「本尊」,卻在
去日本之前「自行互換了位置」。而留在中國的那尊本尊古像,在戰亂時佚失。


這讓人意識到:
信仰中的「真」往往不是用年代決定的,
而是由 千年來被頂禮、被訴願、被祈求 的心所決定的。
本尊不在形相,而在因緣
於是,問題回到最終的核心
哪一尊才是真正的本尊?
從信仰與因緣看,千年來接受無數香火、願心與禮拜的,就是本尊。
佛像的旅程從印度出發,
跨越龜茲、穿過中國、抵達日本,
經歷再製、交換、誤認與再發現,
但每一步都是因緣。
原像可能不在,
但佛在因緣處、就在信心處,從不曾離開。
就像金剛經所說:
「如來所有相,皆是虛妄;
若見諸相非相,則見如來。」
佛像的年代會變,材料會變,
甚至本尊與再製像,也可能在歷史的縫隙裡互換位置。
但佛從來不在木頭裡,
不在雕刻的年代裡,
不在名為「本尊」或「分刻像」的分別裡。
真正的佛,是那一念能看穿「相」的心,
是能在一尊像前流淚、祈願、思念、安定下來的那份清涼。
因此,不論京都清涼寺的釋迦立像
是三國原像,或是宋代重製,
被頂禮的一千多年構成了它的「如來性」。
見相,不執相;
越相,則見佛。
這正是奝然上人帶回來的,不是木雕的佛身,
而是讓人「見諸相非相」的那一份清涼信心。
佛像の旅路と栴檀像の因縁
本日、#台湾文化賞 の受賞者である #傅朝卿教授 が
竹渓禅寺・竹渓書院 にて語られたのは、
インドから始まり、新疆の亀茲、中国本土を経て、
そして日本へと至る――
仏像の長い旅の物語 でした。
京都 清凉寺 に安置される釈迦立像は、
長いあいだ「三国時代から伝わる本尊」、
すなわち伝説にある 優填王(ウダヤナ王)が造った真容像 とされてきました。
優填王(梵語:Udayana / Udena)は
古代インド・拘薩羅国(コーサンビー)の王であり、
仏教伝承において 「人類最初の仏像を造った王」 とされています。
つまり、仏教美術が「無仏像」から「有仏像」へ転じる
最初の扉を開いた人物です。
一、宋代の記録:
奝然上人が開封で礼拝した「霊験像」
文献によれば、奝然上人 は雍熙元年(984)、
宋の都・開封で「優填王造」と伝わる霊験の釈迦像を礼拝し、
深い感応を得て、その造形を写し取ることを願いました。
翌・雍熙二年(985)、
台州の寺院で分身像が完成し、
日本へと請来された――
これこそが、現在の 清凉寺釈迦如来立像 です。
仏像の腹内に納められていた文書
『奝然入宋求法巡礼并瑞像造立記』 には、
背板に 張延皎・張延襲 の名が刻まれており、
この像が 宋代の作品 であることが明らかです。
二、科学的検証:
木材はインド産ではなく、中国の桜材
伝承では「インドの赤栴檀を用いた」とされますが、
科学調査の結果、材質は 中国産の桜材(オオヤマザクラ) と判明しました。
これは宋代の工房で一般的な材料です。
さらに、
縄状の髪型、大衣が両肩を覆う形式、
衣紋のハート形文様など、
造形上の特徴も 中亜〜宋代の仏像の共通性 を示しています。
よって、清凉寺本尊は
「三国時代の原像」ではなく、
宋代に古像を写して造られた分身像 と考えられます。
三、「栴檀像」と記す扁額の意味
堂内の扁額にある 「栴檀像」 の「栴檀」とは、
優填王が造立したとされる 最初の仏像(栴檀仏) を指します。
すなわち、扁額は
この釈迦立像が単なる宋代の模刻ではなく、
「優填王造像と同じ形・同じ願・同じ霊験」を受け継ぐ本尊
であることを示す 宗教的アイデンティティの宣言 なのです。
「栴檀像」は、
如来の「真容の痕跡(しるし)」を意味し、
それを礼拝することは
如来そのものに対面することに等しい とされます。
四、仏画に残る伝承:
原像と再製像の「すり替わり」
興味深いことに、一部の仏画や伝説には
「本尊と分身像が、渡日以前に 自ら位置を交換した」
という記述が見られます。
その後、中国に残った古像は
戦乱の中で行方知れずとなり、
日本へ渡った像が
事実上の「本尊」として千年の信仰を集めました。
ここに浮かび上がるのは、
本尊性は年代ではなく、
長い歳月にわたる祈りと願心によって決まる
という、仏教的な理解です。
本尊は形にあらず、因縁にあり
仏像の旅路は、
インドから始まり、亀茲を越え、中国を渡り、日本に至り、
再製・交換・誤認・再発見を経て今日に伝わります。
原像が失われても、
仏は因縁のあるところ、信心のあるところに現前する
というのが仏教の立場です。
『金剛経』に曰く:
「如来のもつ一切の相はみな虚妄なり。
もし諸相を相に非ずと見るならば、すなわち如来を見る。」
仏像の年代が変わろうと、
素材が変わろうと、
本尊と分製像の位置が歴史の中で入れ替わろうと
仏は木材の中におらず、
年代の中にもおらず、
名前の区別の中にもおられません。
真の仏とは、「相」を越えて見つめる心そのもの。
一尊の前で涙し、祈り、安らぎを得るその清涼の心です。
千年にわたる礼拝と願心が、
清凉寺の釈迦立像を
「如来そのもの」として立たせてきました。
相を見て相に執せず、
相を越えて仏を見る。
奝然上人が日本へ持ち帰ったのは、
木彫の身体ではなく、
人々をして「諸相非相」を悟らせる
清涼なる信心 だったのです。


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