京都清涼寺 的釋迦立像並不是「空心」的。
在祂的胸腔、腹腔之內,安放著一套用絲綢縫製的 五臟六腑。

臺灣文化獎 的 傅朝卿 教授 在 竹溪禪寺竹溪書院 分享 講座裡,佛像腹內取出的文書與織物,打開一個千年的秘密。

原來, 京都清涼寺 的釋迦立像並不是「空心」的。
在祂的胸腔、腹腔之內,安放著一套用絲綢縫製的 五臟六腑-心、肝、脾、肺、腎,甚至牙齒、血管、神經,都以纖細的絲線表現出來。

這是世界上現存 最早的內臟模型 。
那些看似脆弱的絲布,在千年之後依然溫柔地訴說著:

「佛像不是木頭,而是人心寄託的軀體。」

在 入瑞像五臟具記捨物注文 中記載得更清楚。雍熙二年,西元985年,
於「台州開元寺」完成清涼寺釋迦立像的分刻像,就是今日京都清涼寺釋迦如來立像的誕生地。

當完成這尊像時,許多僧侶與信者,把他們最珍貴、最柔軟的供物放入佛腹之中- 台州 的都僧正景堯 以水晶珠、開元寺僧德宣等8名僧侶則以水晶與琥珀、牟瑙之珠、水月觀音鏡、鈴子、佛眼珠等,蘇州的道者僧以水晶珠等作為喜捨; #妙善寺 寺尼清曉等5名女性,縫好了胃、心臟、肝臟等五臟模型,小心地奉納。

那是一種很深的心意:
把最脆弱的,供養給最慈悲的。

而 奝然上人,把 佛舍利 一顆、 菩提念珠 一串、最勝王經 等卷,一併奉入佛像。末尾記錄雍熙2年8月18日提及参與造像的「造像博士 張延皎」以及「當行造像僧居信」的名字。包覆此目錄的包紙封印上,寫有「入瑞像五臟文奝然謹封」。宛若是把自己的身心,也託付了進去。

看著那些絲製的五臟,當下忽然明白:

人們不是在造一尊佛,
而是在造一個「願心的形體」。
每一片絲布都像是一個祈禱:
願佛住世,願心安穩,願生命有光。

佛像有內臟,是因為眾生希望祂懂得痛,懂得愛,也懂得我們。

千年以前的人認為:
若佛也有五臟六腑,就能更貼近世間的苦,
更容易聽懂人心。

想到這裡,突然覺得很動容。
原來佛不只是坐在高處的覺者,
祂也被人們以最溫柔的方式,邀請進了自己的身體與生活。

人們在佛腹中放什麼,
其實也在回望自己心中最柔軟的部分。

「心在哪裡,光就在哪裡。」

在釋迦立像的腹腔中,
那一雙雙手縫出的五臟六腑,
便是千年前人心的一盞盞光。

臺灣文化獎 傅朝卿 教授

千年の光が、静かに息づく場所で

清凉寺釈迦像の胎内に宿るもの

台湾最古の寺、竹渓禅寺の書院で、
傅朝卿教授の声を聞いていると、
まるで時間が透きとおり、
空気に淡い光が沈んでゆくようであった。

京都・清凉寺の釈迦立像。
その胎内に、
絹で縫われた五臓六腑が収められているという。
心も、肝も、腎も、
細い糸の脈までも。

千年を越えて残るその布は、
触れればほどけてしまいそうに脆く、
しかし、どこか人の温度を帯びている。

雍熙二年、九八五年。
台州の開元寺で刻まれた像は、
幾人もの僧や女人たちの手によって、
静かに「いのち」を与えられた。

水晶、琥珀、鈴の音。
それぞれの思いが、
佛の腹の深い闇へ沈められてゆく。
まるで、心のいちばん柔らかな部分を
そっと包み隠すかのように。

奝然上人もまた、
念珠と経を託したという。
その仕草は、
自分の息のひとかけらを
佛へ預けるようでもあった。

人は佛を木から刻んだのではない。
願いの形を、
千年の時に渡して残したのだ。

もし佛が五臓六腑を持つなら、
痛みを知り、
愛を知り、
私たちの影に寄り添ってくれるだろう。

そう思うと、
胎内に縫いとめられた一枚の絹が、
ふっと息づくように見えた。

心のあるところに、光が生まれる。

釈迦如来の胎内の静かな闇に、
幾つもの手で縫われた五臓六腑は、
千年前の人々の心がともした
ひとつ、またひとつの光 である。

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